事業承継 あるじの伝書

徳川家康の終活に学ぶ2代目への事業承継

画像_徳川家康_事業承継あるじの伝書

徳川家康の功績

徳川家康の名前を知らない日本人はまずいらっしゃらないことと思います。
戦国時代を終わらせ、織田信長が果たせなかった天下統一を果たした豊臣秀吉の死後、江戸時代という265年に渡る太平の世を作り上げた歴史上の偉人です。
徳川家康の偉業は各方面で紹介されていますが、今回は家康の晩年から事業承継について考えてみたいと思います。

ここで少し当時の歴史的な経緯についてまず整理します。

1600年3月 関ヶ原の戦い
1603年2月 朝廷から征夷大将軍に任命され江戸時代がスタート
1605年4月 将軍を辞任、嫡男、秀忠が新将軍に
1614年11月 大阪冬の陣
1615年5月 大阪夏の陣→豊臣家滅亡
1616年4月  家康死去(75歳)

関ヶ原の戦いに勝利し、3年後には将軍として江戸時代をスタートさせるわけですが、常に豊臣家の存在は目の上のたんこぶでした。
大阪夏の陣で豊臣家を滅亡させた1615年が本当の意味での徳川の時代がスタートした年とも考えられます。

家康は、大阪夏の陣終了の瞬間から、戦のない日本を作るため、たった4ヶ月で新たな時代のルール作りを行います。
「一国一城令」・「武家諸法度」・「禁中並びに公家中法度」などがそれです。

これらにより、家康は、戦国時代の力(武力)で支配する世の中から、ルールで支配する世の中への転換を行い、平和を維持しました。

結果として、徳川家による徳川幕府が、第15代将軍となった徳川慶喜が大政奉還(1967年)するまで続きました。

家康に学ぶ企業における事業継承

【ポイント1】
自身が元気な間に、後継者に譲る。

先代から見れば、常に後継者はトップとして不安に映ると思います。
「間違った判断をするのではないか?」
「人心を集められるだろうか?」 、、、

家康の場合は「駿府の大御所」として、江戸の将軍を支え、新将軍秀忠は、家康の後ろ盾をベースに施策を推進していきます。

企業で言うなら、代表権を持った代表取締役会長として、新社長の独り立ちを支えていくといった状態です。

形式的に、先代が会長に就き新社長を配置するまでは、多くの会社の代替わりにおいて行われますが、多くの場合は、結局は全てを会長が決めています。
これでは、社員も、取引先も新社長を見ず、以前と同じように会長を見て仕事をします。
会長としては、新社長へのバトンタッチに移るまでの一時的な措置と考えていても、この状態では何の責任も負っていないので、期待したようには育ちません。

家康の場合、秀忠の弱い軍事、外交(特に外様大名)を担当し、江戸幕府が盤石なものになるように支援しています。

企業の代替わりにおいても、先代は新社長を飛び越して経営を行うのではなく、新社長の体制を盤石にすることが自分の役割であると考え方を変えていかねばなりません。

もう主役は新社長なのですから。

【ポイント2】
仕組みで経営していく

創業者の社長はゼロから事業をここまで立ち上げてきたスーパーマンです。
中小企業の後継者候補にそんなスーパーマンはいません。
これは、後継者候補が無能なのではなく、純粋に経験の差です。

創業者は、ゼロから、全てを自分で考え、自分の責任において決断、実行してきたからこそ、経営者として必要な能力を身につけてきたのです。
となると、同じスーパーマンを育てるためには同じ経験を積ませれば良いのですが、現実にはそこには既に築き上げてきた資産(人、もの、金、情報、文化)がありますので、スーパーマンは育ちません。

では、どうするべきか?

チーム経営に移行
一人のスーパーマンの力で経営を行うのではなく、得意分野の異なるメンバーによる経営チームでの経営に移行することが現実的です。得意分野を持ち寄り、弱い分野を補います。昔の武将、毛利元就が息子たちに伝えた「三矢の教え※」作戦です。

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<三矢の教え>
年の元就が病床に伏していたある日、隆元・元春・隆景の3人が枕許に呼び出された。
元就は、まず1本の矢を取って折って見せるが、続いて矢を3本を束ねて折ろうとするが、これは折る事ができなかった。
そして元就は、「1本の矢では簡単に折れるが、3本纏めると容易に折れないので、3人共々がよく結束して毛利家を守って欲しい」と告げ、息子たちは、必ずこの教えに従う事を誓った。
※史実ではないと言う見解もあります。
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三の矢の教え_イメージ画像

仕組みによる経営
スーパー経営者によるワンマン経営の場合、このトップからの指示で全ての業務が行われます。
その能力が卓越していますので、スピーディーな経営が行われます。

しかし、チーム経営となれば、事業などの方向性や各種の意思決定について、誰が考え、誰(またはどこで)が決定を行い、誰が実行し、その進捗をどのように確認していくかを決めて、そのルールに基づいて事業活動をしていくことで、衆知を活かした経営ができます。

中小企業においては、組織図が人に紐付いて作成され、レポートラインも明確になっておらず、誰が責任を持って決め、結果に責任を負っているのか不明瞭な場合が多いように見受けられます。

これでは、組織としての動きがバラバラになるのは必然ではないでしょうか?
家康が行ったように、しっかりとルールと制定、運用していくことでこれが実現できます。


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